弁護士 平山正和
私が弁護士活動を始めた1969年当時は大気汚染、水質汚染、土壌汚染などの公害が大きな社会問題となり、全国の公害反対運動に連携して、堺の大気汚染問題、関西電力多奈川発電所建設差止・損害賠償請求訴訟等に青年のエネルギーを注ぎ込んだ。 福島第1原発事故による放射能汚染は、10万人を越える人々が避難を余儀なくされ、いつ故郷に戻れるか分からない長期、継続的な影響をもたらし、地域や家族の離散、崩壊に至るなど、これまでの公害とは比較もできないほどの悲惨でかつ大規模な、東電と国が加害者である公害に他ならない。 原発がこのような公害の発生源であることに思い至ることなく、原発建設が推進されている同時代に、公害反対運動をしていたことの認識の甘さに愕然とした。「原発安全神話」にまどわされた一人であったからに他ならないと厳しく反省する。 53年にアイゼンハワーが「原子力の平和利用」を訴え、アメリカの原発売り込みが開始された。 54年にはさっそく日本で初めての原子力予算が計上され、自民党政府、電力会社、日米の原発メーカー、御用学者、、ゼネコン、マスコミが一体となった「原発村」によって建設が始まった。 66年に東海発電所で初の商業原発の操業開始され、 70年に関電美浜原発1号機が電力会社初の操業を開始した。 71年に今回の事故を起こした福島第1原発が操業を開始し、原発差止訴訟が提起されるも連戦連敗のなか、「原発安全神話」がふりまかれ続けた。 74年に田中角栄内閣による電源3法により、国民の払う電力料金から捻出した厖大な原発マネーが今日まで僻地にばらまかれ続けた。 86年にチェルノブイリ事故が発生したにもかかわらず原発推進は続いた。 今日では、地震国日本に54基もの原発を建ててしまい、今回の事故に至って、国民を不安に陥れている。 以上が原発の歴史の概要である。 今回の事故を契機に、原発についての国民的論議が沸き起こった結果、原発の安全は神話に過ぎないこと、原発には未来がないこと、脱原発、CO2削減、経済の持続的発展のためには自然エネルギーへの転換と節電対策こそが求められていることなどが明らかになり、脱原発が国民の声となった。原発へつぎ込んできた厖大な税金を自然エネルギーと節電対策のために使う方向へ政策転換をすれば実現は可能であること、それは明るい未来につながる道であることはドイツなどヨーロッパにおいてすでに実証されつつある。しかしながら、日本は、地域独占の電力会社体制、「原発村」の存在によって、自然エネルギー政策が大きく立ち遅れ、後進国となっている。 既得権益にしがみつく「原発村」、財界、アメリカの原発推進の圧力は強大である。事故から日が経過するにつけ、原発再稼働、原発輸出が公然と語られるなど、脱原発に対する逆流が強まっている。このせめぎ合いの結果は国の将来を決める。逆流を止めるためには国民の運動が必要である。微力を尽くしたい。同封した署名を成功させることもその一つである。御協力をお願いいたします。