弁護士 岡崎 守延
1 最高裁判所は、2005年(平成17年)6月3日に、研修医を労働者と認める初の判断を示しました。
この事件は、研修医の身分が司法の場で争われた初のケースでしたが、最高裁判所でも研修医が労働者と明確に認められたことにより、この問題を巡る議論に決着がついたことになります。
2 この事件は、まず「研修医の過労死裁判」として提起されました。
この過労死の事件は、1998年6月1日より関西医科大学に研修医として勤務を始めた森大仁(ひろひと)氏が、同年8月16日の午前0時頃、過労を原因とする急性心筋梗塞症にて亡くなったことに基づき、遺族であるご両親から使用者である関西医科大学に対して、過労死の損害賠償を求めた事件です。
3 この過労死裁判は、第1審で原告の主張をほぼ認める判決がなされ、第2審では、過失相殺などを一部取り入れて、賠償額が若干減額されたものの、基本的には関西医科大学の責任を認める判決が、2004年(平成16年)7月になされました。この判決は、双方が上告せずに、確定しました。
研修医の過労死につき使用者の責任を問う訴訟自体が極めて珍しいものでしたが、これにつき使用者の安全配慮義務違反を認めた判決は、初めてのものでした。
4 この過労死裁判とは別に、同じ事案に関し、最低賃金法に定める賃金に満たない差額賃金の支払を求めた事件が、並行して提訴されました。
これは、研修医が既に一般の医師業務を行っているに関わらず、月額僅か金6万円の給料しか支払われないという全くの無権利状態に置かれていたことに対し、使用者である関西医科大学の責任を問うた訴訟でした。
今回、2005年(平成17年)6月3日に最高裁判所で判決がなされたのは、この差額賃金の支払を求める事件に付いてでした。
最高裁判所は、通常、上告の理由がないときは、上告自体を受理しない場合が多いのですが、今回は、特に研修医の労働者性という、医療現場にも相当に影響を有する争点に付き、敢えて上告を受理した上で、初の司法判断を示したのです。
5 今回の最高裁判決の意義は、以下のようなことがいえます。
まず何よりも、これによって研修医の労働条件の向上が図られることとなります。併せてこの判決は、医師全体に対しても、その労働条件の改善を求めることになります。
そして、より一層大きい点は、医療を受ける一般国民にとっての意義です。研修医や医師が充分な休息も取れないようでは、私達は安心して病院にかかることはできません。
本判決は、この様な国民の為の医療という点でも、重要な問題提起を行っているといえます。