堺総合法律事務所

 

事件ファイル


研修医を労働者と認めた判決(最二判2005年6月3日)

弁護士 岡崎 守延

1 関西医科大学研修医訴訟とは
 最高裁判所は、2005年(平成17年)6月3日に、研修医を労働者と認める初の判断を示した。
 本件は、研修医の身分が司法の場で争われた初のケースであったが、大阪地裁堺支部、大阪高裁での同旨判決に続いて、この最高裁判決により、最高裁判所でも研修医が労働者と明確に認められるに至った。
 この事件は、まず最初に「研修医の過労死訴訟」として提起された。
 この「研修医の過労死」の事件は、1998年(平成10年)6月1日より関西医科大学に研修医として勤務を始めた森大仁(ひろひと)氏が、同年8月16日の午前0時頃、過労を原因とする急性心筋梗塞症にて亡くなったことに基づき、遺族であるご両親から使用者である関西医科大学に対して、過労死の損害賠償を求めた事件である。
 そして、この過労死訴訟に引き続いて提訴されたのが、「研修医の賃金請求訴訟」であり、今回の最高裁判決は、この研修医の賃金請求訴訟に関する上告審判決である。
2 研修医の勤務実態はどういうものであったか
 森さんは、関西医科大学での6年間の大学生活を終え、医師国家試験を経て、1998年6月1日より関西医科大学耳鼻咽喉科に研修医として就職した。
 この事件で、何といっても最大の特徴は、研修医の極めて異常な長時間労働であった。森さんは、6月1日より研修医として勤務を初めてから、連日に渡り、午前7時30分~午後10時という1日14時間半にも及ぶ長時間勤務を余儀なくされた。
 研修医も、その医療技術の習熟度はともかくとして、職務の実態は普通の医師と殆ど変わらず、午前7時30分からの入院患者への点滴、採血に始まって、午前、午後の外来診察、週2日の手術日における手術の立会い、指導医に付き添っての病棟診察補助などが続き、夕方に指導医がアルバイトにて不在となる日には、指導医に代わって病棟患者の診察などを担当していた。
 外来診察は、大学病院ということもあって、連日多数のしかも難しい病気を抱えた患者が来院し、午前の外来診療が終わるのが午後遅くまでずれこむことが日常化していた。その為研修医を含む医師は、食事時間も満足に確保されない実態で、休憩も全く取れない状態であった。
 また退勤時においても、研修医は指導医より先に帰宅しないのが医局の慣習となっており、指導医が通常午後10時ころまで在院しているため、結局研修医が病院を出るのは、連日午後10~11時という実態になっていた。
 森さんは、平日のみならず、土日も休まず勤務を続けた。これは、入院患者がいるためであって、土日には外来診察はないが、研修医も指導医に従い、或いは指導医の指示により単独で入院患者の診察をするために、土日も休めない実態であった。
 それ以外に森さんは、定期的に夜勤(副直)にも就いているが、全く驚くことに、夜勤明けでも休暇はなく、そのまま午前7時30分からの通常勤務に従事する実態であった。これによって森さんは、夜勤の度に、実に38時間半もの連続勤務に従事していたことが明らかになっている。
 森さんは、「研修医の賃金請求訴訟」の第1審である大阪地方裁判所堺支部判決の認定に基づけば、6月1日から亡くなる8月15日までの約2カ月半の間に、実に計388時間30分もの時間外勤務に就いたことが認められている。この中には、深夜勤務54時間、休日勤務126時間も含まれるという過酷さである。
 森さんは独身で、実家が堺市にあり、学生当時は実家から関西医科大学に通学していたことから、研修医になった後も、ご両親はできるだけ実家に顔を出すように言っていたものの、森さんは研修医に就職して以降、殆ど実家にも帰れない日が続いた。
 森さんがたまに土日に実家に帰って来ても、すぐにポケットベルで病院の医師、看護婦から呼び出されてとんぼ返りの状態で、完全に業務から開放される時間帯は皆無といっていい状態であった。
3 研修医の過労死はどのようにして起きたか
 森さんは、この様な異常な長時間勤務によって、急激に疲労を蓄積させていった。森さんの疲労の度合いは、回りの同僚が見ていても分かるほど激しいものであった。森さんは性格的に甚だ真面目で、この性格が日常の研修での手抜きをしないという形に現れた。
 この頃森さんは、職場でも胸痛を訴え、これが上司、同僚からも現認されている。この胸痛は、本件の発症の予兆と言える出来事であった。
 森さんは、亡くなる1週間前に実家に帰ったときにも、ご両親に「時々胸が痛む。僕は倒れるかもしれない。でも倒れても病院が近いから大丈夫や。」と述べていた。ご両親は、このときに何故無理矢理にでも仕事を休ませなかったのかと、後に、強い後悔の念にかられた。
 森さんは、この様な異常な長時間勤務の結果、過労を原因とする急性心筋梗塞症を発症して、勤務開始から僅か2カ月半でなくなった。医師としての希望と使命に燃えながら、僅か2カ月半で死という結果に至ったことは、ご本人は勿論のこと、ご両親ご家族にとっても、無念極まりないことであった。
4 研修医の過労死訴訟はどのようにして提訴されたか
 ご両親は、亡くなる直前に聞いた森さんの「僕は倒れるかもしれない」との言葉を思い、研修医に就職するまで健康そのものであった森さんが、26歳の若さで、しかも研修医開始後僅か2カ月半で亡くなったことから、森さんの死亡の原因は、長時間勤務による過労以外には考えられないとの確信をもった。
 丁度森さんの葬儀の当日に、森さんが診察していた入院患者であった北田氏という人から偶然に自宅に電話がかかり、受話器を取ったお父さんが森さんが亡くなったことを告げると、北田氏は「それは絶対に過労死に違いない。森さんは、病院でもとても疲れていた」と述べた。これを聞いたお父さんは、過労死との確信を一層強めた。
 実はお父さんは、このとき北田氏の連絡先を聞きわすれ、裁判が始まってから北田氏に証言の依頼をする為に、新聞の「尋ね人」の欄に北田氏からの連絡を請う旨の広告記事を載せたりしたが、連絡が取れなかった。そこでお父さんは、電話帳を元に、京阪神の約数千人という膨大な数の「北田」姓の人に往復はがきで事情を書いて送り、該当する北田氏からの連絡を待った。これにより、そのときの北田氏と遂に連絡が取れ、北田氏から訴訟の中で陳述書を作成してもらうという協力をうけることができたというエピソードもあった。
 ご両親は、訴訟の提起に先立ち、関西医科大学に対して、過労死であることを強く訴え、その確認と責任を求めたが、関西医科大学はこれに誠実に対応しようとはしなかった。この為ご両親は、森さんの死亡の原因と責任を明らかにすべく、訴訟を提起した。
5 研修医の過労死訴訟の争点
 この訴訟の争点は、第1に、研修医が労働者といえるかどうかである。
 そして第2に、研修医の勤務が過労死を引き起こすほどの過酷さを有しているかどうか、即ち関西医科大学の安全配慮義務違反の存否である。
 更に第3に、森さんの死亡に付き森さん自身にも責任があるかどうか、即ち過失相殺の問題である。
 第1の争点である研修医の労働者性につき、関西医科大学は「研修は教育だから研修医は労働者ではない」と述べた。
 併し、研修医の実態は前述のとおりであり、研修医は教育を受けるのみならず、現実の医療行為を行うことにより、完全に病院の医療業務の一部を分担している。
 関西医科大学は、これまで研修医に対し、月額僅か金6万円の給料しか支給せず、これを「奨学金」と称してきた。また、健康保険、年金にも加入させず完全な無権利状態に置いてきた。関西医科大学は、この様にして研修医を殆ど「ただ働き」という状態で勤務させてきたものである。
 このような実態は、ひとり関西医科大学のみに留まらず、特に私立医大ではどこでも多かれ少なかれ、同じようなことが存在した。
 かかる実態に基づき、関西医科大学を管轄する北大阪労働基準監督署が大阪地方検察庁に対し、関西医科大学を労働基準法違反の疑いで送検し、大阪地方検察庁はこれを起訴猶予処分とした。検察庁が、研修医の取扱いに付き病院を労働基準法違反にて起訴猶予としたという事実は、既にこの時点で、研修医の労働者性に関する公的判断が下されたことを意味している。
 第2の争点である関西医科大学の安全配慮義務違反、即ち研修医の勤務の過重性であるが、関西医科大学は「研修は教育であって研修医は学生に準じる立場であるから、過酷な要素はない」と主張した。
 併し、研修医につき「教育」のみを強調する関西医科大学の立場は甚だ形式的、片面的なものであり、研修医が現実の医療行為に従事し病院の医療行為を分担しながら学んでいくという実質を見ない意見である。
 先にも述べたとおり、研修医の勤務は甚だ過酷なものであり、学生と同視することなど到底不可能である。
 勤務の過重性については、やはり何といっても勤務時間の長さが際立っている。近時、厚生労働省より、過労死に関する新たな労災認定基準が発表された。この新基準では、「発症一か月前に一〇〇時間を超える残業のあるときは、業務と発症との関連性が強い」とされているところ、本件では「発症一か月前」をとっても時間外勤務は150時間に達しており、しかもこの状態が2か月半も続いている。
 本件は、この新基準の定める残業時間を遥かに超えており、この点のみでもその過酷さは明白である。
 のみならず、業務の内容を見ても、甚だ過酷な実態が認められる。
 特に研修医は初めて医療行為に携わる立場であり、本来的に緊張を強いられる実態にある。このような立場で、連日食事も満足に取れず、一人前の医師としての技量を早急に身につけることを求められることから、常時緊張を強いられる続けることになる。手術日には、勤務が深夜から翌日にまたがることも再三あり、また土、日曜日にも事実上出勤を強いられる。これに加えて、上述のとおり、定期的に夜勤が加わる。
 森さんは、この様に長時間に渡り緊張を強いられ続けたことから、心身ともに疲労し切り、遂に本件発症に至ったものである。
 第3の争点である過失相殺につき、関西医科大学は、森さんが、本件発症前に職場で胸痛を訴えたという事実に基づき、「研修医は医師なのだから、自分の体は自分で管理すべき」などと主張し、森さんにそれを怠った過失があると主張した。
6 研修医の過労死訴訟の判決について
 この「研修医の過労死訴訟」は、第1審で、原告の主張をほぼ認める判決がなされた。
 判決は、第1の争点である研修医の労働者性に付き、「研修医と被告病院の間には、教育的側面があることを加味しても、労働契約と同様な指揮命令関係を認めることができる」と判示し、研修医を労働者として処遇すべきことを明示した。
 また、第2の争点である安全配慮義務違反の存否に付き、判決は、上述の勤務の実態に基づき、関西医科大学に対し森さんに対する安全配慮義務違反を明確に認めた。
 更に、第3の争点である過失相殺についても、判決は、業務の過重さからして「研修医が研修を休んで診察を受けることを期待することは、被告(関西医科大学)が負う安全配慮義務に照らすと、酷にすぎる」として、関西医科大学の主張を退けた。
 関西医科大学は、この判決に対して控訴し、第2審では、過失相殺などを一部取り入れて、賠償額が若干減額されたものの、基本的には関西医科大学の責任を認める判決が、2004年(平成16年)7月に大阪高裁でなされた。
 この高裁判決は、双方が上告せずに、確定している。
 研修医の過労死につき使用者の責任を問う訴訟自体が極めて珍しいものであるが、これにつき使用者の安全配慮義務違反を認めた判決は、初めてのものであった。
7 研修医の賃金請求訴訟について
 この「研修医の過労死訴訟」に引き続いて、「研修医の賃金請求訴訟」が提起された。今回の最高裁判決は、この「研修医の賃金請求訴訟」の上告審判決である。
 この訴訟は、関西医科大学が研修医である森さんに対して、月額僅か金6万円の「奨学金」と称する給料しか支給していなかったことに対し、最低賃金法の定める最低賃金額と月額金6万円との差額分を、最低賃金法違反を理由に、関西医科大学に対し未払賃金として請求した事件である。
 実は、森さんのお父さんは、社会保険労務士の仕事をしており、常々顧問先の会社に対し、労働基準法を守るように指導していた。お父さんは、森さんが亡くなって、関西医科大学の職場の実態を知り、医療現場は、お父さんがこれまで職務上見聞きしてきたどの職場に比べても、労働基準法が全く守られていない職場であることを痛感した。
 特に、お父さんは、森さんの給料が月額僅か金6万円しか支払われていなかったことに強く驚き、「研修医を労働者として扱え」との強い思いから、この訴訟に思い至ったのであった。
 この様な最低賃金法違反の給料請求という発想は、弁護士でも中々思いつきにくいもので、「研修医の賃金請求訴訟」は、このお父さんあってこその事件といえるものであった。
 この事件は、訴額が金100万円にも満たない事件であったが、その提起した意義は、全国で1万人を超える研修医に対する労働条件の確立という、甚だ重大なものであった。
8 研修医の賃金請求訴訟の最高裁判決
 この事件は、「賃金請求」という名前から明らかなとおり、研修医の労働者性が、唯一最大の争点であった。
 大阪地方裁判所堺支部、大阪高等裁判所は、研修医が従事している労務の実態に基づいて研修医の労働者性を認め、関西医科大学に未払賃金の支払を命じた。
 これに対し、関西医科大学が更に上告したのを受けて、今回最高裁は、2005年(平成17年)6月3日に、この「研修医の賃金請求訴訟」に対する判決をなし、研修医が労働者であることを明確に判示した。
 最高裁判所は、この判決が上告棄却判決であるに関わらず、特に研修医の労働者性という争点が、医療現場にも相当に影響を及ぼすことの社会性に着目し、敢えて上告を受理した上で、初の司法判断を示した次第である。
9 両事件の判決の意義について
 今回の最高裁判決も含めた、上記各判決の意義についてであるが、本件は、ひとり森さんに関する権利の救済という、個別的意義に全く止まらない。研修医は、程度の差こそあれ、どこの医療機関でも、充分な労働条件が保障されているとは到底言い難い。よって本件は、研修医全体の労働条件の向上に大きく資するものである。
 また、この労働条件の問題は、研修医のみに止まらず、医師全体にも共通する問題である。圧倒的多数の医師もまた、研修医と同様に、長時間勤務を始めとする、甚だ過酷な労働条件のもとでの勤務を強いられている。
「無給医」などという、一般の社会では凡そ考えられないようなことが、疑問なく実行されている。本件は、かかる医師全体の労働条件についても、その改善を迫るものである。
 そして、より一層大きい点は、医療を受ける一般国民にとっての意義である。昨今、医師或いは研修医の医療過誤事件の報告が後を絶たないが、この大きな要因の一つとして、医師及び研修医の労働条件の不十分さが指摘される。本件でも認められるように、研修医は、1日15・5時間にも及ぶ長時間勤務を強いられる一方で、給料も健康保険も保障されないという、過酷な実態に置かれている。
 この様に、医師、研修医が医療に専念できない状態にあっては、その結果として、不十分な医療技術の中での事故、並びに疲労した勤務の中での事故という事態は必然である。国民が、安心して良好な医療を受けうる為にも、研修医制度の改善、及び医師の勤務条件の改善は不可欠と言える。
 本判決は、この様な国民医療の改善にとっても、重要な問題提起を行っていると評価できる。

                             


 
 
 
4106   | 目次 |