堺総合法律事務所

 

事件ファイル


研修医過労死訴訟 高裁でも関西医大に賠償命令(2004年度)

弁護士 岡崎 守延

一 私が担当してきました関西医大の研修医の過労死訴訟で、本年七月一五日に、大阪高裁でも原審に続いて、関西医大に過労死の責任を認めて損害賠償を命じる判決が下されました。
二 この事件は、一九九八年(平成一〇年)六月一日から関西医大で研修医として勤務を始めた森大仁さんが、研修開始後二か月半が経過した同年の八月一六日に亡くなり、御両親が過労死として、関西医大の責任を追及してきた事件です。
三 森さんは、学生時代は極めて健康でしたが、研修医の勤務が始まると急激に体調を崩して行きました。
 研修医の勤務は、毎朝午前七時三〇分の入院患者への点滴、採血から始まって、外来患者の診察補助、入院患者の診察補助などが休む間もなく続き、その間昼食も満足に取れない状態でした。研修が終わるのは毎日午後一〇時ころで、研修時間は連日一五時間近くに及んでいました。
 森さんは、初めての業務で慣れない中、連日の長時間勤務で体調を崩して行き、職場でも胸の異状を訴えるようになりました。
 しかし、職場では何の改善措置も取られないままに、八月一六日に心臓の発作で亡くなったのです。
四 森さんの勤務実態を見れば、これが過労死であることは、余りにも明白でした。しかし関西医大は、過労死を否定し、責任を認めようとしませんでした。
 森さんのご両親は、訴訟の場で関西医大の責任を問うことにしたのです。
 第一審の判決は、大阪地裁で二〇〇二年(平成一四年)二月になされ、森さんの死亡が過労死であったことが明確に認定されました。
五 関西医大は、この判決を不服として大阪高裁に控訴し、「研修は過労死するほど過酷ではない」「関西医大には、死亡は予見できなかった」などと主張して、責任を更に争ってきました。
 この控訴審の判決が、本年七月一五日になされ、大阪高裁は、改めて関西医大に対し、研修医に対する安全配慮義務の不履行を認めて、損害賠償を命じたものです。
 なお判決では、森さん自身にも、自分で病院に受診するなどして健康保持に努めるべきであったとして、一審判決の賠償額から若干の減額をしていますが、関西医大の責任を明確に認めた点で、基本的な変更はありません。
六 研修医も含めて、医師の働き過ぎ、長時間勤務の問題点がが叫ばれています。医師が健康であることは、私達国民が安心して医師の治療を受ける為に不可欠なことです。
 今回の研修医の過労死訴訟は、このように国民が安心して病院にかかれるような体制を保証していく為にも、極めて重要な意義を有していると思います。
            


 
 
 
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